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一年経ちました

2012年03月11日(日)10:29

東日本大震災から今日で一年が経ちました。


普通に生活が出来るようになり、震災の事を忘れがちにはなるが、

一年前のこの日が近づく様になってからメディアで取り上げられる機会が増え、

妻とあの日の事を振り返ると、あの日の恐怖と不安な想いが鮮明に思い出される。


我々は震災の数か月後には震災前と変わらない生活が出来たが、そうでは無い方々が多くいる事を忘れず、

日々を大切に生きなければと思う。

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世界的ホテルから学ぶ

2011年04月24日(日)21:05

日本が世界に誇れるホテル

「帝国ホテル」

言うまでも無く、最上級のもてなしが約束される場所。



3月11日、東日本大震災当日、東北地方はかつて経験したことが無い地震と津波により甚大な被害を受けましたが、

関東地方でも大きな揺れが起こり、交通網が遮断された為、数多くの帰宅難民が出ました。


この時、都内のホテルはどこも満室となった。

帝国ホテルも例外では無く、満室となりましたが、宿泊出来なかった方を一晩ロビーに受け入れ、毛布の貸し出し、

非常時用の缶づめのパンや水等も提供し、翌朝には、パンやお水の他、温かいスープも提供した、とのことです。


この様な対応は、私が住む仙台市内のホテルでも行われた様で、そのような話を聞いて非常に心が温まりました。



しかし、帝国ホテルは、かつて発生したもう一つの大震災でも、同様のことを行ってきたのだ。

1923年9月1日

その日は、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが設計したライト館の竣工日で、落成記念披露宴が

開かれることになっていた。まさにその準備が行われている中、神奈川県相模湾を震源とするマグニチュード

7.9の関東直下型地震が起きた。いわゆる関東大震災である。


ライトの帝国ホテルは、絢爛豪華な意匠だけでなく、耐震性にも優れ、周辺建物は、そのほとんどが倒壊したり

火災に見舞われる中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷だったと言う。

この時も、帝国ホテルでは、被災した人に対して、炊き出しを行ってにぎりめしなどを提供しました。


時代背景や境遇など異なる点は多々あるが、二度の大震災に対し、助けを必要とする人に対し、無償の愛で接し、

首尾一貫、同じ姿勢を採った同ホテルに賛辞を送りたい。



今回の震災からの東北復興の道のりは果てしなく長い。

復興への鍵は、この様な心構えを個々人が持つことが出来るかにかかっていると思う。
 

自粛ムードを自粛

2011年04月19日(火)00:21

「西高東低」 だそうです。


冬型の気圧配置では無く、GWの予約状況です。


西日本は前年比と同じか、新幹線が延びた九州地方では前年比増となっています。

一方、東日本、とかく東北地方は予約のキャンセルが続出しているようです。


観光客が来ない為、観光産業は大打撃を受け、東北では、すでにいくかの老舗旅館が廃業を余議なくなれています。

今まさに、東北地方は、震災の2次被害を被ろうとしています。

余震や原発の恐怖はもちろんわかりますが、東北(仙台市)で暮らす者として、津波被害を受けた地域、原発の影響が

ある地域を除いては、震災前とほぼ同じ暮らしが出来ています。

ですから、安心して東北へもっと遊びに来て下さい。


あと、過度な自粛はやめましょう。当然、不謹慎になる様なことは慎むべきですが、

震災の全く関係ない地域で、自粛ムードは、あまり理解できない。

この構図は、マーケットの縮小を生み、さらなる経済の停滞を生むだけだと思う。

これ以上の不況は、震災地域にとっては厳しすぎます・・・



東北地方では、すでに桜が開花し、冬型の気圧配置はすでに終わっています。

全国の皆さん、この春を迎えた東北の地にどんどんおいで頂き、

皆さんの力で、本当の春を迎えたい。

今年の桜


その日は必ず来る

2011年04月14日(木)21:35

大地震から、およそ1ケ月が過ぎました。

仙台市内中心部では、震災前の風景に戻りつつあり、ふと、この東北で大災害が起きたことを

忘れてしまう一瞬すらある。



でも、現実は違う。

家族や友人を失った方の傷が簡単に癒えるはずが無い。

被災し、避難所生活をしている方などは、今も尚、厳しい生活を強いられている。

職場が被災し職を失った人も多くいる。

甚大な被害を受けた多くの地域では、まだ復興への足がかりさえ無い・・・




私は、すこしの間、関西に住んでいたことがある。その時、神戸や淡路島にも足を運んだ。

そう、かつて阪神淡路大震災で大きな被害があった場所だ。

私が見た限り、大震災が起こった街とは思えない程、街並みが綺麗で、活気があった。




戦後の日本は、焼け野原になり、それでもこの小さい島国は、先人達の持ち前の粘り強い精神や

類稀な生産力で、世界屈指の経済大国にまでのし上がり、先進国として国際社会をリードするまでに至った。


こうして、我が国日本はどん底から何度も這い上がってきたのだ。




今回の震災によって、東北や関東の一部は、壊滅的な被害を受け、復興には途方も無い時間がかかるだろう。

しかし、かつて日本も復活を遂げた。



東北にも、その日は必ず来る。

またですか・・・

2011年04月09日(土)18:13

4月7日23時32分頃

宮城県沖を震源地とする震度6強の地震が発生しました。

私は、その時、自宅で就寝していました。

寝込みを襲われたせいか、3月11日の本震と同じくらいの揺れを感じました。

本震と同様、地震の最中に停電した為、揺れがおさまるのを待って、外に出た。

住んでいるマンションに損傷がないかを確認すべく、外に出て懐中電灯で照らしましたが、とりあえず、

大きな損傷が無いと判断し、室内に戻りました。


そこで、思ったことは、「やっぱりきたね」


ここ数日、あまり大きな余震が無く、ちょと安心していたのですが、逆にそれが怖いとも思っていました。

やっぱり大きいの来たね・・・妻と顔を見合わせました。


我が家の被害状況としては、本震の時ですら倒れなかった食器棚が倒れ、食器の半分以上が壊れました。

また、加湿器も落ち、水のタンクが割れた為、辺り水びだし。

元々、ガスが復旧していないので、ライフライン全てが遮断されました・・・



8日(金)は、朝から部屋の片づけを行い、また食糧不足になるのでは・・・との思いから、近くのスーパーに

買い出しに行きました。そのスーパーは営業していたが、停電の為、定員さんがお客一組に対して一人ついて頂き、

懐中電灯で照らして商品を選ぶという形で買い物をしました。


そして、昼くらいには、電気、水道が復旧した為、今回の地震前の生活に戻ることが出来ました。

8日の周辺状況は、思っていたより普通で、特にパニックになっている様子は無かった。



今回の最大余震を受けて、「正直、もう勘弁してくれ」と思いました・・・

復興への道を歩み出した途端、出端をくじかれた格好となり、ちょっと虚しくなりました。



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